<< ディカプリオは環境問題の夢をみるのか? | main | 要するに、美しい夏、ごめん。 >>

スポンサーサイト

  • 2012.06.23 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


運命の出会いは幸せ、か。

---
アミューズソフトエンタテインメント
¥ 4,036
(2009-09-25)

伊坂 幸太郎
徳間書店
¥ 1,260
(2009-08-26)

 
Aさんが「小学生のころからサッカーが大好きで、会社勤めをしている今もフットサルのサークルに所属していて、月に何度か試合をやってます。」と言うときに、ぼくらはAさんの人生における論理的関係(小学生のころからサッカーが好きである。故に今も(これからも)サッカーをする(だろう)。)を、別段気にすることなく「そうなんだ〜」と受け取っている。

ところがよくよく考えてみれば、以前も好きだったから今も好き、という言い方(推論)には何の根拠もないことがわかる。「今まで○○だから、これからも必ず○○だ」という必然性はどこにもない。むしろぼくたちが日常的に行っているのは、「今まで○○だから、これからも○○なのだろう(かもしれない)」と予測し、現実に対処しているということだ。

伊坂の場合、「小さいころから正義の味方が好きだったので、今も正義の味方を息子に目指させています」とか「小さいころから野球の王様になりたかったので、今も息子に野球をやらせています」というかなり突飛な論理関係を読者に迫っている。言い換えれば、前提も不自然ならば、結果もまた不自然だ。しかし論理関係的には矛盾なくみえてしまう。したがって主人公たちはこの論理関係という宿命を生きることになる。

さてではこの主人公たちの宿命づけられた生は幸福なのか。けれども幸か不幸か、ということ自体根本的に、論理関係とは何の関係もない。むしろ主人公たちの生(人生)のおもしろさは、幸か不幸かとはまったく関係なく進んでいくこと(論理関係的につながっていく、と見えてしまうこと)にある。この2作品に共通する論理関係(因果的推論)のおもしろさとは、幸福の尺度をまったく採用していないこと(そもそも論理と幸福には全く関係がないとみなしていること)にあるのだ。




スポンサーサイト

  • 2012.06.23 Saturday
  • -
  • 13:00
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>
sponsored links
ryolalaaの音楽再生
twitter
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM